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大会自由論題発表要旨(山田美香)

1970‐80年代香港の中等教育

本発表においては、香港档案処の档案、当時の新聞を用いながら、1960年代以降、主に1970‐80年代において、香港の中学が義務教育化されていくなかで、どのような制度設計がなされていたのかについて明らかにする。これまで、方駿・熊賢君『香港教育通史』1などが、この時期の中等挙育を論じているが、香港档案処の档案を調べた研究はほとんどない。

1. 1960年代の中学

1961年8月14日の新界(新しく住民が増えた地域)の役所の会議では、「新界の小学の15%が中学に行くと、9,900人の生徒の椅子を用意しないといけない。」2と、必要な中学の数が策定されていた。従来からの多くの住民が住んでいる中心地ではなく、周辺部にある新界では、中学進学率は、わずか15%であるという前提のもと、中学建設が行われていた。小学生の進学希望者に対応した中学建設ではなく、多くの小学生が進学できないように中学の数は限定的であった。そのため、各地域から小学を中学とすることが提案された3。

2.1970年代の中学

中学の建設も重要であったが、「小学の33%の教師、中学の68%の教師は訓練されていない」4と、70年代初期、多くの者が小学に行ったが、小学であっても訓練されていない教師が33%もいた。小学、中学に行くには費用の負担が必要であった。そののち、『香港教育通史』に、「1978年には、計画より1年早く、香港の義務教育が既に実施された」5と記されているように、1970年代末に、中学が義務教育となった。

3.1980年代の中学

1982年『Llewellyn Report』が出され、その後の中学教育に影響を与えた6。このレポートに対しては、1983年11月、セント・スティファンズ女子学校校長が、「西洋の教育の在り方が、香港にとって、最も良いモデルになるのか」7と、不安を述べたように、多くの問題提起がなされた。

植民地であったことから、香港は、イギリスとの関係性・香港内部のイギリス人の声、さらに、香港人家庭における中学進学への要求など、多様なものが政策に反映され、中学教育が行われた。

1 方駿・熊賢君『香港教育通史』齢記出版有限公司, 2007年。
2 Minutes of the District Officers Meeting held at New Territories Administration on 14th August 1961, HKRS No..935 D-S No. 1-8
3 大公報, 1961年7月26日, 同上。
4 HongKong Standard, 1973年1月27日, HKRS No. 146 D-S No. 5-40。
5 方駿・熊賢君『香港教育通史』齢記出版有限公司, 2007年, p. 318。
6 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%91%82%E8%A1%9B%E5%80%AB 2017年9月11日閲覧。
7 South China Morning Post, 1983年11月25日, HKRS No. 545 D-S No. 1-234-2。
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